三度の転機
60年以上生きていれば、誰でも何度かの修羅場や転機に遭遇するものであろ
う。
「なんだそれくらいのことが修羅場なのか、仰々しいな」と言われるかも知
れないが、私にとってもできれば避けて通りたかった大きな不都合を三度経
験した。
一度目は20才にして車いすを使用することになり、二度目は45才頃に億を超
す手形不渡り事故に遭い、三度目は60才になってすぐに胃ガン全摘出手術を
したことであろう。
車いすを使用してもごく普通に生き続けるためには、ハンディ克服のための
リハビリに鬼のように取り組んだ。
社会生活を送るには、ゼロからの出発どころかマイナスからの出直しにな
り、精神面では価値観や生き様探しのために10年間を要した。
Minorityの奈落からMajorityな世界で生きられるよう、しかも最初の5年間
くらいは親を安心させるために生業を身に付けることに邁進した。
しかし、食っていけるようになると自分の本当の生き様を見つけたわけでは
なかったので、生き続けるよすがを見失い、精神面では非常に不安定な状態
が何年も続いた。
それでも、人生を斜に構えることなく生業に思い切り勤しんでいたら、いつ
の間にか自分本来の生き様を身に付けていたようだった。
振り返れば、和文タイプライター1台で印刷界に飛び込み、思いっきり仕事
出来たことには満足している。
26人の社員教育に勤しみながら、印刷会社を経営することの面白さを掴めた
ように錯覚しつつも、世の中に臆することなく生きてこられたことはラッキ
ーに尽きる。
40才を前にして、印刷業の何かが分かり始め、15年間くらいは新規開拓に明
け暮れ、毎年15〜20%の売上アップを維持し続けた。
好事魔多しのたとえ通り、10年間で5億円くらい売上のあった上得意から1億
円の不良債権が発生した。
金融機関からは、いったん(株)ビジネス印刷センターを連鎖倒産させて再出
発を図るようアドバイスがあった。
心揺るがぬでもなかったが、命懸けで経営してきた会社を潰すことはできな
かった。
取引業者に迷惑かけるわけにも行かないので、毎月末になると回し手形を1
千万円ずつ1年間近くジャンプし続けるのは大変だった。
しかし、それ以上に大変だったのは、同社から
「迷惑かけたので、5千万円の融通手形を発行してやるから、それで当面を
凌げるだろう。その替わりに当社へも同額の融通手形を発行して欲しい。拒
否するならこのビルから飛び降りて心中しよう」との依頼(強要?)があっ
た。
半ば軟禁状態での、大声と泣き落としが数か月続き、表向きは顔色変えず
に、冷静に、やんわりと拒否し続けるにはそれなりの腹づもりを要した。
最後の頃には「金塊3個を担保にする」と差し出されたこともあった。
サランラップに包まれていたので色合いは判断出来なかったが、手にした重
さから呉のセーラー万年筆工場で体験した「14金」(1塊=百万円くらい?)
のような気がして丁重にお断りし続けた。
先方も根負けしてしまい、「女房、子供に危害が及んだら困るだろう」とい
う雰囲気になった時には、流石にビビッタ。
元来寝坊助で寝付きはよい方だったが、夜中に目が覚めると、もうアルコー
ルの助けを借りてもなかなか寝付けないほどだった。
5年くらい経過しても危惧していたことは発生しなかったので徐々に安堵し
始めたが、借財はまだ半分くらい残っていた。
その頃になると、自分自身がしぶとく飄々と生き続けられていることに気づ
いた。
60才前になって、食後に胃の調子が悪くなり、3度、胃カメラを飲んだが病
状は発見されなかった。
念のためにと生体検査したら、良性腫瘍の診断だった〜翌日には悪性だから
三分の一摘出する、に変更された〜翌々日には超悪性だから全摘出するがリ
ンパに転移している可能性があるとの診断に変わった。
術後、レベル4だから「余命1年」との診断だったが抗ガン剤服用しながら
クリアし続けた。癌腫瘍マーカー値は、当初4から5だったのが順調に?
アップし続け20くらいになった。後半年の余命、後3か月との診断をクリア
しながら腫瘍マーカーは100〜200〜300までアップし続け、年初に抗ガン剤
治療の効果無しとの診断が下った。
座して死を待つ、などという表現は私には似合わないし、エンディングの準
備を大雑把に粛々と進めながらも、不思議と悲壮感が漂ってこないのはなぜ
だろうか?
九割方の人が負け惜しみだと評されるだろうが、実はこの3年間の人生の充
実度は筆舌には尽くし難いほどの実りがあった、と言うのも偽らざる心境な
のである。
最近「国民幸福度」などと言う数値化が喧しいが、人の心の中を数値化する
ことなど無意味に思えて仕方ない。
疼痛コントロールは決して容易ではなく、今週から始めた麻薬パッチ治療も
まだ手応えを感じるほどには至っていない。
痛みは辛いし、毎月2〜3回は絶望感に襲われるが、それでも毎日を楽しく過
ごせることに、半ば呆れながらも充実感と納得感さえ覚える。
三度の修羅場は、それぞれ100%克服したわけではない。
車いすを使用しながらエスカレータは上り下りできるし、手すりさえあれば
階段も下りられるし、東京まで日帰り出張もできる。
大好きなNewyorkへは、数回のTransit(乗り継ぎ)と
Allowance Negotiation(値引き交渉)しながら一人で行き来出来る。
仕事している振りすることに長けて、真面目な振りして不真面目な他社営業
マンに対して「そんな人生過ごしていて後悔しないか」と叱りとばすことも
できる。
それでも世の中で車いすを使用しながら、ごく普通に生きているかと聞かれ
たら「八割くらい」としか答えようがない。
自分一人で耐えて克服することには幾何かの光明があるが、手形不渡り事故
に関して言えば、他者が絡むだけに最大の修羅場だったと言えるのだろう。
しかも、それも「やっと八割クリアできた状態」だと言えよう。
胃ガンを罹患して、他人様のお心がより感じられるようになったのは否めな
い真実だと言えよう。
掛け替えのない人たちに接して、心の中で何度落涙したことか、逆に心の醜
い人たちに接しても、殆ど心が乱れなくなっていることにも気づかされた。
余命はあまり気にならないが痛みは克服出来そうにないので「やはり八割程
度」クリアしていることになるのだろう。
何でもかんでも「腹八分目」に。
OGRE
business@x.age.ne.jp
登録解除はこちらから
第1号 第2号 第3号 第4号 第5号 第6号 第7号 第8号 第9号 第10号
第11号 第12号 第13号 第14号 第15号 第16号 第17号 第18号 第19号 第20号
第21号 第22号 第23号 第24号 第25号 第26号 第27号 第28号 第29号 第30号
第31号 第32号 第33号 臨時号 第34号 第35号 第36号 第37号 第38号 第39号 第40号
第41号 第42号 第43号 第44号 第45号 第46号 第47号 第48号 第49号 第50号 第51号
第52号 第53号 第54号 第55号 臨時号 第56号 第57号 第58号 第59号 第60号 第61号
第62号 第63号 第64号 第65号 第66号 第67号 第68号 第69号 第70号 第71号 第72号
第73号 第74号 第75号 第76号 第77号 第78号 第79号 第80号 第81号 第82号 第83号
第84号 第85号 第86号 第87号 第88号 第89号 第90号 第91号 第92号 第93号
|